まぁそがぁにはぶてんさんな

メインは仏教について。時々音楽や雑談もします。

お母さんと一緒! お母さんが一緒!

おはようございます。

 

仏様とご一緒」と言った場合と、「仏様がご一緒」と言った場合、どのような違いを思い浮かべられますか?

 

「と」と「が」一文字違うだけですが、結構雰囲気が変わります。そして、浄土真宗では仏様「が」ご一緒という表現を大切にしてきました。

 

朝と夕方、NHK教育テレビで「お母さんと一緒」という番組があります。これは「と」ですね。「が」ではありません。

 

妻に「何故お母さんが一緒じゃなくて、お母さんと一緒なんかね?」と聞いてみましたら、「お母さんが一緒ってちょっと嫌嫌な感じするよね、お母さんと一緒だと嬉しがってる感じがする」と言っていました。

 

文法的に考えますとこの妻が言ったことは案外当たっているのではないでしょうか。「と」の場合、主語は私です。私がお母さんと一緒です。

 

しかし、「が」の場合、主語はお母さんです。お母さんが私と一緒です。だからお母さんが一緒と言った場合、私の気持ちよりお母さんの方に重きを置いているから少し嫌々な感じがするのでしょうね。

 

先人方は仏様「が」ご一緒という言葉を大切にしてこられました。それは仏様のお心を大切にされ、中心にしてこられたからではないでしょうか。私がどのような時も仏様がご一緒してくださるのです。

 

正信偈の中に

貪愛瞋憎之雲霧

常覆真実信心天

譬如日光覆雲霧

雲霧之下明無闇(原文)

 

貪愛・瞋憎の雲霧

常に真実信心の天を覆えり

譬えば日光の雲霧に覆わるれども

雲霧の下明らかにして闇無きが如し(書き下し)

 

とございます。

 

どれだけ私たちの心が煩悩の雲霧で覆われて、真実の天を覆っていても、太陽が一度登れば、どれだけ雲霧が濃くても、もうそこは闇ではないように、阿弥陀様のはたらきは煩悩の雲霧をつきぬけて私を照らしてくださっているという意味です。
 
私の心は常にモヤモヤ、ドロドロして晴天になるときは少ないです。特に今回のような感染症による社会の不安や変化は私の心を雲で覆っていくようです。しかし、私たちの心が晴れたら阿弥陀様がご一緒下さるのではありません。私の不安のど真ん中にこそ、雲霧を突き破ってご一緒下さっているのが阿弥陀様です。

 

いつでも阿弥陀様がご一緒です。
南無阿弥陀仏

 

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そんなところをお話しさせてもらってます。音声で聞きたい方はこちら。

音声法話

「仏様が?仏様と?ご一緒」

↓レッツお聴聞