「学問」とは問いを学ぶこと
おはようございます。
問いを持つことこそ学問だと思います。学問ですしね。
何故こうなっているんだろう?
どうやったらこうなるのだろう?
どうしてこうやってやってるのだろう?
何をするにしても何も考えずやるより、問いを持ってやる方が得るものは大きいはずです。
私は小さい頃からピアノをやってます。高校まではクラシックをやってましたが、社会人になってからはポップスとかジャズを学んでます。
ジャズではオスカーピーターソンとかエヴァンスとかキースジャレットとか上原ひろみが好きなのです。
上原ひろみさんみたいに弾きたいなーと思ってジャズを習い始めました。
しかし、ジャズを学べば学ぶ程憧れの人と自分との差がわかってきて萎えるんです(><)
学んでない時は少し練習すればできるのではないかと思ってましたが、全然無理です!!
やればやるほど凄い人たちの凄さが分かってきます(><)
何かを学ぶことは、自分が何ができてないのかを学ぶことなんでしょうね。
学ぶことによって、凄いことがどんだけ凄いか見えてくるのでしょう。
クラシックやってた時は先生から言われたことを嫌々やってたようなものです。
しかし、今はどうやったらこうゆう演奏ができるのだろうか、どんな練習をすればいいんだろうか、と自分で考えながら問いを持ちながらやってるので練習に前向きです。クラシックの時もちゃんと考えて、問いを持って練習すれば良かったと思ってます(><)
仏教を学ぶ時も、何でそーなるんだろうと、どーしてそうゆう答えになるんだろうと、分かったつもりにならずに、ちゃんと分からないことは分からないと問いを持って学んでいくことが大切だと感じてます。
分かったつもりになる。知ってるふりをする。自分を賢い立場においてしまうことは悲しいことです。
凡夫なんですから分からんで当然です。分からないことは分からないと言っていきたいです。
ワードプレスが全然わかりません!!