善知識だのみとは!?
息子の小学校の自主登校が始まりました。トランプ地獄から少し開放されますー。
仏教で知識という場合は普通使われる知識と違った意味で使われる場合があります。
善知識
善知識とは「仏陀の教えを説いて仏道に入らしめる人。人に生まれてきたことの真の意味を教えてくれる人」です。浄土真宗におきましては、親鸞聖人や歴代宗主、また、私にお念仏をすすめて下さった全ての方です。
私も色んな方に育てられていると感じています。あげるときりがありませんが、特に祖父は身近で、姿をもって、大切なことを教えてくれている人です。
善知識とあうことによって仏法が深まっていくのでしょう。
善知識とあうことによって、自分勝手な受け止め方を訂正してもらい正しく仏法を学んでいくことができるのでしょう。
善知識だのみ
しかし、善知識だのみというちょっと危ない考えもあります。
導いてくれる先生や先輩を絶対の存在として、この人の言うこと以外は間違っている。この人の言うことさえ聞いていれば間違いない、安心だ。という考え方です。
宗教というのはこの善知識だのみにならないように気を付けなければいけません。絶対的な教祖様がいて、神格化されていて、その人の言う事さえ聞いておけばいい、他の人が言っている事おかしい、となるともう完全に思考停止ですね。
本当の善知識というのは「俺の言う事が絶対だ。俺の言う事さえ聞いておけばいいのだ」とは言いません。自分の髪の毛を数万円で売ったりしません。
善知識といふは、阿弥陀に帰命せよといへるつかひなり(『御文章』二帖十一通)
善知識とは自分はすごいぞ、自分を信じろと言う人ではなくて、阿弥陀様のお心を取り次いでくださる使いです。