香樹院徳龍 「臨末の御教誨」
香樹院徳龍(江戸後期の学僧)
江戸後期にご活躍された真宗大谷派の学僧に香樹院徳龍とゆう方がいらっしゃいます。
様々な逸話が残っています。
こんな本も出版されてます。
香樹院徳龍の「臨末の御教誨」とゆうのが伝わっております。
聞いてたのしむ身の上が 云う手柄にするぞおかしき
云わぬを手柄と思うなよ 聞き得たままを繕ろわず
云うてなおしてもらへかし 聞いて覚えて云うことに
骨折る人ぞあわれなれ 聞きうることぞ大事なり
聞き得た上のたのしみは 拙き言葉でありながら
胸のありだけ語りあい 御慈悲喜ぶたのしさは
覚えた人は味しらず 忘れとうても忘れられぬは如来をたのむ心也
なんか僧侶に向けて残してくださってあるようなお言葉です。
僧侶が陥りやすいこと
「聞いて覚えて言うことに骨折る人ぞあわれなれ」とあります。
人に褒めらるため、ひけらかすことを目的にお経などの御文を覚えて話すことを、情けないと仰います。
反省(><)
僧侶が陥りやすいことではないでしょうか。まさに私のことかもしれない。。。
お経の中にはお説教して救われるとはどこにも説かれていません。
聞其名号 信心歓喜(『大無量寿経下巻』)
お名号のおいわれを聞いて救われると説かれています。阿弥陀さまの願心を聞かせていただくんですね。
話すことではなくて聞かせていただくことが救われることです。
仏法は教えていくものとゆうよりも、人が喜ぶまんまが伝わっていくのでしょう。