松虫・鈴虫のであった法要
親鸞聖人のご生涯の中でも特に大きな出来事が、1207年に起こった承元の法難です。
承元の法難とは
朝廷により念仏停止の命令がくだり、法然門下の四名が死罪。八名が流罪になりました。法然聖人や親鸞聖人はご流罪になられました。
きっかけとなったのは
長である法然聖人ではなく、お弟子が死罪になられているのは、ただ単に念仏弾圧とゆうことだけではなく他の理由が考えられます。
そのきっかけが松虫・鈴虫とゆう後鳥羽上皇の女官であった2人の女性です。
後鳥羽上皇が熊野参詣で京を留守にしている際、2人は法然門下の住蓮と安楽が主催した法要にであったのです。これに感動した2人は上皇には内緒で住蓮安楽の元で出家をしたのです。
これを知った上皇が激怒し、出家をさせた住蓮・安楽が死罪とゆう重罪になってしまったとゆうのです。
どんな法要だったの!?
ここで気になるのが、、、
松虫・鈴虫が感動した法要ってどんなものだったんでしょうね!?
一回法要にお参りして、よしっ、私も出家しようと思うなんてありますか!?
皆さん、あー私も出家したいなぁと思うような読経にであったことがありますか?
皆さん、あー私も出家したいなぁと思うようなお荘厳や法話にであったことがありますか?
お寺などの法要にお参りして普通に感動したり、気持ちが晴れたりすることはありますが、私も出家したいとまで思うってとてつもなくすごいことです。
どんな法要だったんでしょうね。
住蓮・安楽はすごい美声の持ち主だったようです。この時は六時礼讃とゆうお勤めをされたと伝わっています。とても節が綺麗なお勤めです。本当にお浄土に包まれているような気分になるお勤めです。とてつもない美声だった住蓮・安楽ですから、六時礼讃、本当にお浄土にいるかのような雰囲気だったのでしょうか。
そして安楽・住蓮はイケメンだったのではないか。まーわかりませんけど。
法話もどんな法話だったんでしょうかね。2人の女性の人生を変える程の法話。私も聞きたい。
ただ、今でも結構いらっしゃいます。私の周りにもお寺の生まれではないけれど色々なご縁でお坊さんになられた方がいらっしゃいます。仏法とゆうのはそれ程の力を持っているとゆうことでしょうね。
そんな法要ができるかどうかは置いといて、私も自分なりにお勤め、お荘厳、ご法話、作法等々丁寧に行っていきたいものです。大袈裟なこと、派手なことではなく日々の積み重ねを大切にしたいものです。